日本と韓国・朝鮮関係史プロジェクト

2005年 7月30日  報告

文責 外村 大

05年検定・『新しい歴史教科書』の問題点

 すでに新聞等で報道されているように、今年4月、新しい歴史教科書をつくる会編の中学校用教科書(歴史分野と公民分野)が文部省の検定を通過しました。しかし、これらの教科書は公教育の場で用いるのにふさわしくない内容のものです。以下では、歴史分野の『新しい歴史教科書』の内容の問題点を指摘していきます。

日本社会の最大公約数のルールから逸脱した内容

 義務教育である中学校までの教育は、現代日本社会において必要な知識を身に付けるためのものです。つまりは、現代日本で生活していくため、また、望ましい未来を作り出していく上で、必要な知識や科学的な考え方、社会生活を営む上でのルールが何であるか、どのような理念を共有し尊重すべきか、といったことを学んでいくわけです。

 歴史教育もそのようなものとして行われます。言い換えれば、現代日本社会を生きる人々にとって重要であると考えられる過去の出来事や、それがどうして起こったかといったことを学ぶわけです。その際、何が重要で、教育すべき過去の事実であると考えるかは多様な意見があり得ますが、いわば最大公約数のルールと関連して学ばなければならない点があります。それは、現在の日本社会の最も基本的な法律である憲法や、教育についての考え方を記した教育基本法の理念との関係で考える必要があります。歴史の学習の場合、それらがどのような過去の人々の活動によって獲得されてきたか、過去のどのような事実を反省して生み出されたか、といったことを教え、学ぶ必要があります。

 しかし、次に見るように、『あたらしい歴史教科書』は、基本的人権の尊重・平和主義・国民主権という日本国憲法の原則から離れており、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」をうたっている教育基本法とも合致しない内容をもっています。

公への奉仕を強調する一方で基本的人権は軽視

 日本国憲法の原則にもなっているように、近代社会においては個人の尊厳に基づく基本的人権が尊重されます。「公(=おおやけ)」はそれを守るためにあるのであって、公を守るために基本的人権がないがしろにされるべきではありません。しかし、敗戦前の日本では基本的人権がしばしば無視され、国のために命を投げ出すことが美徳とされるような状況がありました。そうした歴史を反省して現在の日本社会があるわけです。

 ところが、『新しい歴史教科書』では、“公に尽くす”“国家のために献身的に尽くす”人々の姿を強調し、それをあるべき姿として理想化しています。逆に、基本的人権が未確立であった過去の社会の矛盾や、人権を確立するための活動の歴史はあまり触れられていません。

この傾向は、旧版に比べてもとりわけ目立つものとなっています。

一例を挙げれば、114頁の「読み物コラム 武士道と忠義の観念」では、「主君への忠義をまっとうするためにみずからの命をすてた」赤穂浪士の行動や、「武士道とは死ぬこととは見つけたり」という一文を含めて「葉隠」について紹介しています。そして、このような「武士がもっていた忠義の観念」は、「藩のわくをこえて日本を守るという責任の観念」「公のために働くという理念」にもつながっていたとしています。

このコラムでは、「葉隠」が「単純に死を求め、死を美化しているものではない」とも記していますが、“命を投げ出して国家に尽くせ”という主張とかなり近いことは否定できないでしょう。

また、第二次世界大戦についてのページで、勤労動員や学徒出陣、さらには特攻隊についての写真が掲げられ、本文で「多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」と記していることも、自分が大切としてきたもの、生命すらを捨てて国家に奉仕することを美化する意図を持っていると考えられます。

民衆の犠牲に触れないまま戦争を美化

 『新しい歴史教科書』での戦争関連記述は、軍国主義が跋扈していた時期のそれを髣髴とさせるものがあります。例えば、改訂版では1頁を割いて日露戦争における日本海海戦に関するコラムを載せています(169頁、「歴史の名場面 日本海海戦」)。そこでは、東郷平八郎連合海軍司令長官の絵やロシア艦隊遭遇に際しての秋山真之作戦参謀の電文、戦闘の状況の記述と「世界の海戦史上、これほど完全な勝利を収めた例はなかった」とする評価、ロシア将軍の助命活動を行った乃木希典の武士道精神などが盛り込まれています。これを読むと、スポーツの試合でフェアプレイを尽くして完璧な勝利を収めたような気分になります。しかし、日露戦争では日本の兵士にも多くの犠牲が出ましたし(そのことには乃木希典らの無謀な作戦指導も関係しています)、莫大な戦費をまかなうため国民は多大な税負担を強いられました。

 また、第二次世界大戦について見ても、前述のように、国民の献身ぶりや特攻隊などを紹介していますが、日本国内に限ってみても、戦争の被害はあまり記されていません。民衆生活の窮乏の具体的な様子、空襲の被害、沖縄戦の状況、原爆が投下された広島・長崎の状況などは極めて簡単な記述となっています。

 つまりは、“戦争はカッコいいもの”“戦争勝利のために尽力した人々は立派”というイメージを植えつけ、悲惨な被害を生み出す本質を隠蔽しようとしているのです、そして、そこには、戦争の犠牲者に対する冷たい見方、特に自国の民衆の犠牲すらも重要視しない考えが存在していると言えるでしょう。

歴史を動かす民衆が登場しない

 歴史を動かす要素の重要な一つとして、民衆自身の様々な活動(経済活動や支配者の圧制に対する反抗、諸権利の獲得を求めた組織的な運動など)があることは言うまでもありません。それは自立的なものであり、同時代の体制とのあつれきを伴うものもありましたが、そのような動きを経て、今日の社会が築かれてきたわけです。

 しかし、『新しい歴史教科書』では、そもそも民衆についての記述が薄く、登場する場合も、指導者や国家の命令に従って協力する側面が必要以上に強調されています。

 “奈良の大仏建造に協力した人々”は出てきても、民衆の税負担の重さの話は出てこず、中世・近世の農業や商工業の活動についての記述もあまりありません。また、近世の一揆・打ちこわしの具体的な記述はなく、自由民権運動や大正デモクラシー期の社会運動も詳しく述べられていません。これは戦後の歴史研究の成果を反映していないものです。

アジア近隣諸国との関係の記述の問題点

 今回の検定に合格した改訂版も本質的にはアジア近隣諸国に対する加害の歴史をあまり描かず、中国や朝鮮の文化に対する偏見も見られます。

 まず、「大東亜戦争」の語を用い、「大東亜会議」について記述し、あたかもアジア太平洋戦争が、アジア諸国の植民地からの解放に寄与する目的を持っていたかのような印象を与えるものとなっています。そして、アジア太平洋戦争で戦場となった地域での戦争被害の状況は詳しく触れられていません。アジア諸国の人々の証言や資料を通じて、戦争や植民地支配がどのように捉えられていたのかを提示した部分もありません。

 また、中国や朝鮮においても近代化をめざす動きがあったことなどには触れないまま、近代国家を築いた日本の優秀さを述べる一方で、中国・朝鮮の人々は無能であったかのような印象を与える記述もあります。

 このほか、日本が百済や新羅を服属させていたかのように解釈しうる広開土王碑の解釈文が掲載されたり(そのような読み方でよいのかどうか自体が確定していないにもかかわらず)、植民地である台湾や朝鮮の社会資本整備に日本が尽力したことに触れて、(誰のため、何のための社会資本の整備であったかについて記さないまま)あたかも日本が植民地支配を通じてよいことをしたかのような記述が目立つようになっているのも改訂版の特徴です。

超歴史的な日本文化・日本民族・日本国

 現在の日本列島に人間が住み始めたのは、歴史書が編まれるようになるずっと前のことですが、しかしその時点では、日本列島にいた人々が「日本」というまとまりを意識していたわけではありません。もちろん、先史時代には、日本列島にいた人々に共通する「日本文化」もなかったし、「日本民族」という実態があったわけでもありません。さらに言えば、古代に、周辺諸地域との関係で「日本」というまとまりが一部の指導者や知識人に意識されるようになったとしても、民衆レベルに浸透していたわけではありません。また、日本列島内部には多様な文化が存在し、さらに日本列島以外の地域からの文化が流入することでさらに絶え間なくそれは変化していました。

 ところが、しばしば『新しい歴史教科書』では、あたかも先史時代から「日本民族」や「日本文化」の根源となるものが実態としてあったかのようなことが記されており、驚かされます。

例えば、「約1万年間の縄文時代には、日本人のおだやかな性格が育まれ、多様で柔軟な日本文化の基礎がつくられたという側面もある」(19頁)とあります。縄文時代に日本列島に共通的な文化ないしはベースとなる文化があり、それが後の時代にかなり重要な影響を及ぼしたかのような記述です。しかし、もちろん、それを裏付けることはできません。

 また、改訂版では、聖徳太子が仏教を受け入れる一方で「日本固有の神」もまた大切にすることも忘れなかったことを記しています。これも聖徳太子以前のずっと昔から「日本固有の神」が存在したかのように思わせる奇妙な記述といえるでしょう。

排除を生み出す「血筋」でのまとまりの強調

 今回の改訂版ではもっと驚くべきことがあります。具体的な歴史記述の本文に入る前の箇所に置かれた「歴史への招待」で、血統主義的なまとまりを強調していることです。そこでは、これから学ぶのが日本の歴史=皆さんが血を受け継いだ先祖の歴史であること、日本列島で生きていた人々は、現在、教室で机を並べている皆さんの先祖である、としています。

 しかし、実際の現在の日本では、父母や祖父母に「日本人」ではない人を持つという生徒は少なくありません。そうした人々を無視して教室にいる生徒の先祖は日本列島で生きてきた人々だと述べた場合、日本人以外のルーツを持つ生徒は「仲間はずれ」を受けたような感じを受けるでしょう。

 また、「帰化人」についての説明はありますが、今回の改訂版では旧版では存在した坂上田村麻呂が「帰化人の流れをくむ」という記述はなくなりました。一方で、元寇についての箇所で「モンゴル人以外の兵が多くまじっていて統率に欠けたことも、日本の勝利の一因となった」(71頁)という記述があります。うがった見方かもしれませんが、単一民族国家を理想とし、多様な民族で日本社会が構成されるようになることを強く警戒していることがそこには関係しているように思われます。

混乱・誤解を生み出す教科書

 以上のような特徴を持つ『新しい歴史教科書』を使用した場合、おそらく教えられる生徒の側は歴史の流れを理解できず、場合によっては歴史学習への関心を失うと思われます。少なくともつながりがよく見えてこない箇所が出てきます。

 また、次に見るように、個別の点でも、誤りや適当ではない記述を多く含んでいます。ランダムですが、特に気になった部分を提示しておきます。

なお、『新しい歴史教科書』の問題点についてはすでに、日本の戦争責任資料センター編集部「『つくる会』歴史教科書はこう変わった」の論文があります。

http://www.jca.apc.org/JWRC/center/hodo/hodo32.htm

400年の区切りで歴史を見る云々

改訂版・P7 400年区切りで歴史を見る。大和朝廷、平安京、鎌倉幕府、関が原、

→関が原の戦いは1600年で、その次は2000年ということになる。要するに、現在が日本の歴史の大きな転換期ということ述べたいのであると思われる。しかし、太陽の黒点が何年周期で変化するといったことは科学的に確認できるとしても、××年ごとに大きな変化が起こるという話は、根拠ない予言のようなもので個人的に信じるのは勝手にしても、公教育の教科書に載せるべきことではない。

・パリ講和会議での人種差別撤廃決議案についての記述

改訂版・P188 人種差別問題、パリ講和会議での人種差別撤廃決議案。→しかし、日本の提案は世界から多大の共感を得た。

旧版・P258 パリ講和会議で、日本は唯一の提案である人種差別撤廃案を会議にかけた。この案は日本人みずからが重視し、世界の有色人種からも注目を浴びていた。投票の結果、賛成が多数を占めたが、議長役のアメリカ代表ウィルソンが、重要案件は全会一致を要するとして、不採決を宣言した。

→日本が植民地支配を行い、朝鮮人等を差別していたことの矛盾は記されていない。共感を得た、と言えるかも疑問。

・戦後の五大民主化指令に関する部分

改訂版・P212 「GHQは、日本政府に対し、婦人参政権の付与、労働組合法の制定、教育制度の改革などの五大改革指令を発した。民主化とよばれたこれらの改革のいくつかは、すでに日本政府が計画していたものと合致し、矢つぎばやに実行されていった。」

旧版・P290 「GHQは、10月、日本政府に対し、婦人参政権の付与、労働組合法の制定、教育制度の改革、圧制的法制度の撤廃、経済の民主化など五大改革指令を発した。このうち、婦人参政権と労働組合法の制定は、以前から日本側の用意もあってただちに実行された。」

→旧版・改訂版ともに「教育制度の改革」という語を用いているが、これは教育にかかわる行政機構を変えるとか、学校の在学年限をあらためるといったレベルの話ではない。日本を侵略戦争へと導く背景となった、軍国主義・侵略主義と結びついた国家主義的な教育をやめさせるということである。「教育制度の改革」という語ではそのことが伝わらない。その点に触れないのは、戦前の皇国史観に基づく教育や教育勅語をそう悪いものではないと考えていることと関係していると思われる。

また、新版では落ちている、「圧制的法制度の撤廃」と「経済の民主化」のポイントはより具体的に言うと治安維持法や特高警察の廃止、経済民主化は財閥解体などである。「圧制的法制度の撤廃」が記されていないのは基本的人権についてあまり重視していない態度と関係していると思われる。

付言すれば、本書のいわばまとめにあたる、227頁の「歴史を学んで」では、現在の日本で方向がみえない二つの理由では、戦後「占領によって、国の制度は大幅に変更させられた」ことがあげられている。ようするに戦後改革が現在の日本の問題を生み出したかのような見方が提示されているのである。

・甲午農民戦争に関する記述

改訂版・P164 朝鮮の南部に甲午農民戦争とよばれる暴動がおこった。農民軍は、外国人と腐敗した役人を追放しようとし、一時は朝鮮半島の一部を制圧するほどであった。

旧版・P218  朝鮮の南部に東学の乱(甲午農民戦争)とよばれる農民暴動がおこった。東学党は、西洋のキリスト教(西学)に反対する宗教(東学)を信仰する集団だった。彼らは、外国人と腐敗した役人の追放を目指し、一時は首都漢城(現在のソウル)に迫る勢いをみせた。

→東学党の語をあらためたのは妥当としても、新版も含めて、単純な排外的な「暴動」であるかのように記し、農民軍みずからが行政を担当し近代的な改革を行おうとする動きがあったことを記していないのは問題。

・日清戦争に関する記述

改訂版・P165 日清戦争「の勝因としては、新兵器の装備に加え、軍隊の訓練・規律にまさっていたことがあげられるが、その背景には、日本人全体の意識が、国民として一つにまとまっていたことがある。」

旧版・P218 「陸戦でも海戦でも日本は清に圧勝した。日本の勝因としては、軍隊の訓練、規律、新兵器の装備がまさっていたことがあげられるが、その背景には、日本人が自国のために献身する『国民』になっていたことがある。」

→「教育勅語」などを通じた国民統合のための教化やさまざまな排外的な宣伝によって中国人への敵愾心が煽り立てられていたことが記されていない。むしろ、戦争を通じて国民意識をまとめていったと考えられる。ちなみに、沖縄では清国の勝利を信じて清と連絡を取ろうとする者もいた。

・3・1運動に関する記述

改訂版・P185 「このとき、朝鮮総督府は武力でこれを弾圧したが、その後は武力でおさえつける統治のしかたを変更した。」

旧版・P249 「朝鮮総督府はこれを武力で弾圧したが、その一方で、それまでの統治の仕方を変えた。」

→あえて言うならば、旧版のほうがまだ正しい。「憲兵警察制度をやめた」というのなら、間違いではないが、軍事力は人員で見てもむしろ増えており、31運動後に朝鮮総督となった斎藤実自身も増兵を望む考えを示していた。また、一定の言論の自由を認めたことも確かだが、それもかなり厳しい検閲制度等があり最終的に戦時体制確立のなかで朝鮮語言論自体が許されなくなったことなども踏まえないと、「統治のしかたを変更した」は誤解を招く。

・関東大震災時の虐殺事件に関する記述

改訂版・P189 「朝鮮人や社会主義者のあいだに不穏なくわだてがあるとのうわさが広まり、住民の自警団などが朝鮮人・中国人や社会主義者を殺害するという事件がおきた。」

旧版・P256 「朝鮮人や社会主義者のあいだに不穏なくわだてがあるとの噂が広まり、住民の自警団などが社会主義者や朝鮮人・中国人を殺害するという事件がおきた。」

→朝鮮人・中国人・社会主義者を並列するのは問題であることがすでにこれまでの歴史研究で指摘されている。自警団が社会主義者を虐殺したわけではなく、警察や憲兵が、「自警団など」としてはいるが、この記述だと、自警団=住民が社会主義者を殺したように誤解されかねない。警察や軍隊は悪いことをしない、住民を守るというイメージを壊したくないからであろう。

1930年代の民衆の政治意識に関する記述

改訂版・P195 「国民も、経済不況による社会不安の中で、政争に明け暮れ、問題を解決できない政党政治に失望し、しだいに軍部に期待を寄せるようになった。」

旧版・P265 「経済不況による社会不安を背景に、中国における排日運動と満州権益への脅威に対処できない政党政治に対する不満から、政府とは別に、軍の中に独自に政策を論じ実行しようとする考えをもった中堅将校のグループが形成された。軍部の政治的発言権を強めようとする動きも出て、国民もしだいに軍部に期待を寄せるようになった。」

→さまざまな軍の側の宣伝があったこと、情報が統制されていたことが、最低限、記されていないと、国民の軍への「期待」の背景は見えない。

・戦時下の植民地の状況に関する記述

改訂版・P208 「朝鮮半島では、日中戦争開始後、日本式の姓名を名乗らせる創氏改名などが行われ、朝鮮人を日本人化する政策が強められた。戦争末期には、徴兵や徴用が、朝鮮や台湾にも適用され、現地の人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。また多数の朝鮮人や中国人が、日本の鉱山などに連れてこられ、きびしい条件のもとに働かされた。」

旧版・P283284 「大東亜戦争(太平洋戦争)の戦局が悪化すると、国内の体制はさらに強化された。…このような徴用や徴兵などは、植民地でも行われ、朝鮮や台湾の多くの人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。このほかにも、多数の朝鮮人や占領下の中国人が、日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで働かされた。また朝鮮や台湾では、日本人に同化させる皇民化政策が強められ、日本式の姓名を名乗らせることが進められた。」

→創氏改名は、「変姓名」ではなく、あくまで「氏」をあらたに創るのであり、「日本式の姓名を名乗らせる」は厳密に言うとまちがい。

→戦時下の動員政策について、さすがに強制連行・強制動員はなかった、とは書いていないが、新版の文章は、朝鮮人や中国人が「きびしい条件のもとに働かされた」のは「戦争末期」の「徴用」段階に限定しようとしているようにも読める。実際には、日米開戦以前にも強制連行・強制労働のケースはあった。

         その他

改訂版では、各章の末尾に「歴史ドラマにチャレンジ」という課題提示があり、演劇仕立てで歴史を再現しようというもので、具体的な内容は以下の通り。

1章・タイトル:大化の改新なる 登場人物:中大兄皇子、鎌足、入鹿など

2章・タイトル:元寇、来たる! 登場人物:時宗、フビライハン、御家人など

第3章・タイトル:本能寺の変 登場人物:織田信長、明智光秀、豊臣秀吉など

第4章・タイトル:ペリー来航 登場人物:ペリー、阿部正弘、諸大名など

第5章・タイトル:大正デモクラシー 登場人物:原敬、平塚らいてうなど

ここからわかるように、民衆生活や民衆の意識を基礎にすえてその時代の社会構造を理解させるような課題は一つも設定されていない。この課題提示の意図としては、外敵からの防衛や国家の発展させるために指導者がいかに考え決断したか、ということを生徒に考えさせたいということであると推測される。しかし、そのようなことを考えさせるにしても、民衆の動向や社会構造を欠落したまま、上記のような登場人物でドラマを演じた場合、果たしてどのような背景があっていかなる動きにつながったかという、歴史学習となるかどうかはかなり疑問。せいぜい“××は愛国心があって偉い”“難局に当たって立派な決断を行った”といった、かなり浅薄な、そして事実かどうか実はよくわからないような、「お説教」が生徒に押し付けられるだけにとどまる可能性が高い。