日本と韓国・朝鮮関係史プロジェクト

2004年10月14日  報告

文責 外村 大

                        歴史を見る目

1、歴史を語ることと「立場性」

 過去の事実を確定すること」と「歴史を学ぶこと」は同じではありません。歴史を学ぶことは、過去のある事実がどんな影響を次の時代に及ぼしたか、とりわけ現在のわたしたちにどのような意味を持っているのか、を考える作業にほかなりません。そして、歴史について語ること(文章として記したり博物館の展示で伝えたりすること)は、その考えを他の人に知らせるという行為であるわけです。

 したがって、歴史について記述された文章がある時、そこには書き手のある種の立場に基づく価値判断が反映されています。中国などで前近代のそれぞれの王朝が編纂した「正史」が、その王朝の成立ちの正当性を擁護し、王朝に貢献のあった人々を「忠臣」、それに反対した人々を「逆賊」として記すのはその典型です。

もちろん、現代の歴史書では誰が忠臣で誰が逆賊か、とか××という行為は表彰すべきだ、あるいは罪悪だ、といった露骨な価値判断を述べるものはあまりありません(まったくないわけではないですが)。むしろ、そんなことをしたら、冗談でやっていると捉えられるか、「あれは偏った歴史書だ」と多くの人から忌避されることとなるでしょう。

しかし、「イデオロギー的に偏りはありません」「価値判断を避けて中立的に書きました」「事実だけを述べています」と標榜する歴史書があったとしても、やはりそこには実はある種の歴史的事実に対する評価がなされています。また、歴史資料をそのまま切り取って編集した史料集について見ても(もし、そこに編者の解説文がなかったとしても)そこにはある種の歴史に対する評価が含まれています。

 そもそも、過去にあった出来事というのは、それこそ無限にあります。したがって、「…年…月…日に〜ということがあった」と語ること自体が、語る人が無限にある事実のなかからその事実をわざわざ選び取って現在生きる人々が記憶し後世に伝えるべき重要性を持つと認めた行為であり、語り手の価値判断に基づくものに他なりません。同時に、〜という事象によって××という結果がもたらされた、ないしそれは○○という意味を持っている、と語られる時、それはよりはっきりとした語り手の意味付与、評価が行われているわけです。

 そして、どのような過去の事実を重要と考えそれをどう評価するかは、それを行う個人の置かれている社会関係、同時代の状況などに規定された部分があります。つまりは、語り手の立場性が関係しているのです。それは「悪いこと」ではなく、「やむをえないこと」であり、「当然のこと」であるというべきものです。

 ただし、例えば「産業革命がその人類の歴史に大きな影響を与えた」「第二次世界大戦は多大な惨禍をもたらした」といったレベルの歴史認識は、民族なり思想信条、宗教といった立場性と関係なく、現代社会に生きる人間にとって共有できるものでしょう。

また、ある種の共同性を持つ人々にとって、その共同性とは無関係の立場性を超えて共通して重要視し記憶すべき歴史となる事実も当然あります。単純な話、○○株式会社の社員にとっては、社長にとっても平社員にとっても、部署がどこであっても、また保守的か革新的か、巨人ファンか阪神ファンかといったことは関係なしに、○○株式会社の創立年月日なり起業の経緯といったことは記憶の対象となるわけです。

ところで、このように考えていくと、「現代日本に生きる者にとって共有すべき歴史」はありうるか、どのようなものか、といった問いも浮かんできますが、これについては後ほど述べることとしましょう。

2、過去の事実を知ることのの難しさ

 歴史を学ぶことは、ある意味では誰もが、(場合によっては無意識のうちにも)行っていることでもありますが、実はそう簡単なことではありません。まず、そもそも過去の事実を確定すること自体もけっこうやっかいな作業です。ある事実を知る手がかり=史料が豊富に残されているケースはまれですし、ニセの情報が記された史料が出回っていたりすることもしばしばあります。また、「事件」や「行動」についてわかったとしてもそのことに関係していた人々の気持ちや考えがわからない、といったこともあります。さらには、現在生きている人間と過去の人々の習慣やものの見方、行動パターンといったものは異なっているわけですが、それを意識しないためにある過去のできごとを誤って解釈してしまったり、その重要性に気付かないで無視してしまったりすることもしばしば起こります。

 ところで、前項で述べた「立場性」という問題は、過去の事実を知ろうとする時にも影響を与えます。集められる史料はある種の立場から生じた問題意識に基づくものであり、集められた史料の解釈もしばしばその研究者が事前に立てた見通しにそったものとなるのであり、そこから提示される歴史像はかなりの場合、「過去の事実そのまま」ではないわけです。

 しかし、「しょせん、過去の事実そのままなど知りえないのだから自分が想像すること、こうあってほしいことを歴史として提示すればよい」とはなりません。事実の確定が難しいからこそ、史料をできるだけ多数集めて、思い込みや偏見を排除して(完全にそこから自由であることは不可能なわけですが)史料と向き合い、それが何を意味しているのか、いかなる経緯から書かれたのか、どんな人がどんな考えから記したのか等々について思いをめぐらせ、様々な可能性を検討し、判断しながら事実に迫ろうとする努力が必要となるわけです。

3、自由主義史観はイデオロギーから自由か?

ところで、「自由主義史観」の人たちがまとめた『新しい歴史教科書』の序文にあたる「歴史を学ぶとは」には次のような文章が記されています。

 歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。

 また、同じ表題の文章のまとめにあたる部分では次のようにも述べられています。

 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。

 なるほど、この言葉は、イデオロギー的立場による歴史像の歪みから自由でありたいと考える人にとっては魅力的であるかもしれません。また、ごく単純に歴史を進歩発展の流れと見たり、ある勢力や個人の行為が持った意味をその時期における状況を無視して捉えてきたりした人にとっては、反省を促す契機になるのかもしれません。また、その言葉自体を見れば(つまり「自由主義史観」の人々の意図と関係なしにその言葉を解釈すれば)、確かにその通りであるといえないこともありません。

例えば、今日、ダイエットで悩みながらなお美味を追求する人が少なくないのに対して、「白い飯」や「飢えない状態」が夢であった時期(そんなに昔ではありません)があったというように価値観はかなり時代によって異なります。また、「前近代の日本列島に住んでいた庶民は日本国民という意識をもたずおろかな存在だ」と考えるのはおかしなことですし「尊皇攘夷派は世界情勢を知らなかったから政治的リーダーとして失格」と批判しても意味はありません。何が善であったかということについても、教育勅語が有効であった時期には、日本人にとって天皇への忠誠が何より善であったわけですが、それ以前にはそんな意識が支配的であったわけではありません。それを踏まえて史料を解釈して過去の事実の意味を考えていくということは歴史研究の初歩的な手続きです(しばしばその点の「手続きミス」「手続き無視」があることも確かですが)。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、上記のような主張をわざわざ強調する人たちが、本当にイデオロギーから自由であるか、ということです。むしろ、自分たちにとってのあるべき歴史を「事実」としたり、あるいは現在に及ぼしている過去のある事実の意味をわざとぼかしたりするために、自分たちにとって都合のよい「過去特有の価値観」を取り出し強調している(ほかの重要な意識や動きはしばしば無視して)のではないでしょうか。次にこの点を見ていきましょう。

4、民衆の視点の不在―矛盾や対立を隠蔽する問題性―

それぞれの時代の価値観を強調するならば、当然書くべきであると考えられるのに、『新しい歴史教科書』に書かれていない、といったことは多々あります。先に述べたような「前近代において日本国民という意識や天皇への忠誠といった意識は民衆レベルに浸透していなかった」といったことは記されていないわけです(これは他社の歴史教科書でも同様でしょうが)。本文記述に即して指摘したいことも多々ありますが、ここでは「歴史を学ぶとは」の記述に関して述べることとします。

この文章では、過去には過去の価値観があったことを説明するために現代の中学生と過去の少年たちの例が持ち出されます。かつては「中学校に行きたくても行けない人」「小学校にも行けず、78歳で大きな商店の丁稚や豊かな家庭の使用人として働く子ども」がいたこと、しかしその事実に対して単純に現代の社会的公正という価値観を当てはめて疑問や同情をいだくべきではないことが述べられ、さらには、「当時の若い人は、今の中学生よりひょっとすると快活に生きていたかもしれない」と記されています。また、古代において王の巨大な墳墓の建設に強制的に駆出された人々についても現代の善悪の尺度を当てはめることは「あまり意味がない」とも書かれています。要するに、その時期には身分制や貧富の差に基づく格差を当然とする意識があったことを強調したいのでしょう。

身分制や貧富の差による格差が当たり前とされていた時代があり、そのなかで人々が将来の夢を描き自己実現を図ろうとし、あるいは日常の幸福を見出すといった営為があったことは確かでしょう。しかし、同時にしばしば、民衆たちはそのために苦しんだり悩んだりしていたわけです。学校に通えない子どもたちのなかには、やはり学校に行きたい、労働が辛いという気持ちを心の片隅に持ち、場合によっては工場で働きながら独学を試みるといった状況もありました。古代において王の墳墓建設に駆出された人々も慣れ親しんだ土地や家族との別離が辛いという感情を持ったかもしれません。

 つまりは、民衆レベルの意識や動き―とりわけ、その当時正統的とされていた秩序や支配者のイデオロギーと矛盾、対立するもの―がそこでは欠落しているわけです。『新しい歴史教科書』は「歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう」と述べているわけですが、実は、彼らは民衆たちを視野の中に入れていないか、あるいは過去の社会を対立や矛盾がないものとして描き出すために、極めて意図的な操作を行っていると言わざるを得ないでしょう。

5、歴史の変化の契機をどう捉えるか?

 ところで、そのような民衆の動向―その時期の対立や矛盾―を軽視した場合、歴史を学ぶ上で重要な問題が生じることになります。端的に言って、歴史の変化の背景や原因がうまく説明できないことになるのです。

 そもそも、貧富の差があっても身分制が厳格であってもそれぞれ人々は幸福だった、とすれば、なぜ、身分制を撤廃し貧富の差をなくそうと人々が努力したか、近代になって身分制の撤廃が行われ貧富の差を縮める政策が取られるようになってきたのか、はわかりません。「歴史を学ぶとは」で「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのはやめよう」と説いている者自身が、実は歴史のダイナミズムを捉える立場から遠いところにいるわけです。それこそ、重要な事件の年号の暗記だけが歴史の勉強になりかねません。

 もっとも、『新しい歴史教科書』の序文には「国の生産が低く富が限られていた時代に公平は単なる理想にとどまっていた」というような一文があるので、「自由主義史観」の人たちは生産力の向上によって漠然と世の中はかわっていくといった認識なのかもしれません。あるいはほとんど変化の要因のない社会が日本列島の枠の中にあって、前近代においては中国の影響を受けて、近代においては欧米列強によって動かされて変わって行ったという受動的な歴史の連続として捉えられているでしょうか? いずれにしても彼らが意図する「自国の歴史への誇り」にはつながりそうにない歴史像であるのは皮肉なことです……。

6、裁判と歴史研究との違い

 前述のように「それぞれの時代に特有の善悪があった」(「歴史を学ぶとは」)こと自体はある意味では当然のことです。

 しかし、歴史研究は、ある歴史的事実のもった意味を考えることを放棄しているわけではありません。そうではなく、その点においてこそ歴史研究の意義があるはずです。

 ところが、しばしば、現在の基準で過去を見るのはやめようといった言説に関連して出てくるのは、「あの時代は世界的に帝国主義が当たり前だったのだから植民地支配を現在の基準で糾弾するのは意味がない」といった主張です。つまりは、植民地支配がどのような意味を持ったのか、さらに具体的には、植民地支配された地域の民衆の生活がどのようなものになったのか、現在にどのような影響を及ぼしているのか、そのことによって帝国主義国の側にどんな変化が生じたのか、といった重要な点を考えないか、あるいはそこから眼をそむける論拠のために「その当時の価値基準があった」ということが持ち出されるわけです。

 また、そもそもこれまでの歴史研究でも、何も「戦犯探し」や「ある個人が有罪か無罪か、罪はどの程度かを判断すること」を主要な任務にしてきたわけではありません。例えば植民地支配の問題を考える際にも、そこに至った背景、それを支えたものは何であったか等々を、帝国主義国内の様々な勢力の活動、植民地化された地域の様々な勢力の動向、国際関係、当時の社会経済的な状況などを見ながら明らかにした上で、それが持った意味を考え提示するということがこれまでの歴史研究でも行われてきました。

 「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発することと同じではない」、歴史を「現在の道徳で裁く裁判の場にするのはやめよう」(「歴史を学ぶとは」)といった言葉は、これまでの歴史研究に対する理解の欠如から来ているのではないでしょうか。

7、単純化された歴史像―二元論の危険性―

 『新しい歴史教科書』の序文「歴史を学ぶとは」では、善悪二元論的な認識が登場します。「善悪」、「公平」か「不公平」か、「建国の偉人」か“反乱軍(の指揮者)”か(ジョージ・ワシントンについて)といった話が登場します。

 二元論はたいへんわかりやすく、複雑なことがらを説明する際に、あえて二元論で示す、といったことはしばしばいろいろな場面で行われます。歴史を教える際にも、複雑な事情を省略する、あるいはある種の対立図式で簡略化して説明するといったことがあります。しかし、ある歴史的な事実が絶対的な「善」であったり、単純な「悪」であったりすることは恐らくなく、尊敬を集めている歴史上著名な人物でもその行動は「偉人」では片付けられない要素を持つはずです。

生産力の向上という一面においては人類に幸福をもたらした産業革命が実は農民の没落や労働者の搾取を伴い大規模な環境破壊の始まりでもあったこと、近代的国家への再編を成し遂げた薩長の人々が民権派等への弾圧を行ったこと、本国からの投資で植民地の社会資本は整備されたが民衆は窮乏化した等々、かなりよく知られた歴史的事実を考えても、善悪二元論では論じられない複雑さを持っています。

あるいはある一人の人物―歴史に名を残した指導者であれ、あるいは名を知られぬ民衆であれ―を注視した場合でも、二元論的な割りきりでは捉えきれない意識を持ち行動していたということがむしろ一般的といえます。植民地支配下にあった人々を考えても、その民族的指導者であれ民衆であれ、抵抗/協力のどちらか一方を選択してその立場を取りつづけていたわけではなく、中間で揺れ動いたり、抵抗を含む協力を行ったりしていたわけです。少なくとも中学校レベルの歴史教育でも、そのような歴史の複雑さ、多面的な要素をある程度教えることが必要ではないでしょうか?

ところが、「歴史を学ぶとは」の結論部分では「歴史に善悪を当てはめ」るのはやめようという言葉が記されていますが(前述のように、ある歴史的事実の意味を考えることを放棄するために使われるのですが)、「善悪」とか、「偉人」かどうか、といった用語や発想自体が歴史研究にはなじまない、という認識は示されません。つまりは、「自由主義史観」の人々の発想はそもそも発想が二元論なのではないか、という疑いがあります。あるいは確信犯的に都合のよい歴史像を単純化して示そうとしているとも考えられます。

 いわゆる保守派ナショナリストが歴史についての「語り」も“反日史観では植民地支配は収奪だったと言っているが事実は善政だった”“韓国併合は朝鮮人の総意だった”といったように、二元論的な単純化されたものです。

事態が深刻であるのはそのような言説が「わかりやすさ」ゆえに多くの人たちに受入れられやすいということです。表面上はなかなか見えにくい過去を生きた人々の複雑な思いを捉え、多様な要素を持つ歴史の動きをわかりやすく伝えていくことが歴史研究・歴史教育に携わる者にとって大変重要な状況があると言えるでしょう。

8、民族や国家ごとに歴史認識は違って当然か?

 『新しい歴史教科書』の序文「歴史を学ぶとは」には、「歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない」という文章があります。この文章についても疑問を持つ人は少ないかもしれません。あるいは「自由主義史観」は問題があると考えるけれども、民族や国ごとに歴史認識は異なって当然とする立場を取る人もいるでしょう。

 しかし、前記の文章に関連して考えなければならないことがいろいろとあります。

 まず、「ある事実をどう考えるか」についてはひとまず置くこととして「ある過去の時点でどのようなことが起こったか」については、民族や所属する国家ごとに違ってよい、ということにはなりません。日中戦争時の南京陥落の際に日本軍がどのような行為を行ったか、や第二次世界大戦中のアウシュビッツ収容所で何が行われたか、194586日に広島でどのようなことが行われたか、に関して、日本人、中国人、ユダヤ人、ドイツ人、アメリカ人等の間で認識が異なっていていい、ということはありません。周知のように、複数の民族や国家に関わる重要な問題で、手がかりがあまり残されていないがために事実の確定が困難なことがらもあります。それについても、史料(文献だけではなく、映像や個人の証言も含めて)に基づいて事実に迫る努力を放棄していいわけはありませんし、少なくともこれだけの点は事実と確定できるという認識を所属する国家や民族を超えて共有することが当然必要なはずです。さらに言えば、専門的な歴史研究者の間では事実として確定しているのに、それを否定するようなデマをわざと述べることは許されないことです。

 つぎに、「ある事実をどう考えるか」に関わる問題について考えましょう。おそらく「自由主義史観」の人たちがわざわざ「民族や国家ごとに歴史はある」というのは、このこととかかわっています。『新しい歴史教科書』の序文では、“アメリカでは独立戦争総司令官・初代大統領ワシントンは偉人だが、イギリスではそうではない”という話が持ち出されます。

推測ですが本当に言いたかった例は“朝鮮・韓国では伊藤博文は悪人だが日本では偉人だ”といったあたりではないでしょうか。これについては「日本人」か「朝鮮人」か、という単純な立場性で割り切れる問題ではありません。いったん伊藤博文は日本の近代化の上で功績があると認めたとしても、伊藤博文(彼一人で行ったわけではないにせよ)が進めた朝鮮の植民地化が朝鮮民族に何をもたらしたか、それが現在、朝鮮・韓国と日本の人々にどのような影響を与えているか等を考えたとすれば、日本人にとっても伊藤博文を全面的に「偉人」とすることはできないはずです。

9、「国民」の歴史の欺まん

これに関連して、気になるのは、そもそも「民族や国家ごとに歴史認識は違う」という主張は「民族や所属する国家が同じであれば歴史認識は同じ」という考え方を前提としていたり、そうあるべきだという願望が背景にあるのではないかということです。もっと簡単にいうと「あなたは○○人だから〜という歴史の見方をすべきだ」という押し付けが(無意識的にであれ)あるのではないでしょうか。

しかし、実は「××民族」とか「△△国民」であることが歴史認識を持つ上で唯一決定的な要素であるわけではありません。「地球社会の一員として」「東アジアに生きる人間として」「沖縄県民として」「アイヌ系の日本人として」「下層民衆として」「平和や民主主義という価値を信じる者として」「差別のない社会の構築を目指すものとして」等々、「国民」や「民族」以外のいろいろな立場からの歴史の見方はあるはずです。そして、それぞれの立場からの歴史解釈を持つことは、それが他の人々に対する攻撃や押し付けを伴わない限り認められるべきでしょう。

もうひとつ付け加えれば、そもそも「○○民族」としての歴史観を選択すること自体が不可能だったり、苦痛である人たちも少なくないことに注意する必要もあります。「両親の祖国それぞれを大切にしたいので日本人であると同時に朝鮮人でもあると自己規定している」という人々をはじめ、複数のアイデンティティを持つ人々は珍しくないのです。

あるいは、「自由主義史観」の人たちもそのような状況を踏まえている(さらに言えば、それに対して危機感をもっている)のかもしれません。つまり、現代社会において、階層や民族的バックグラウンド等々の差異が存在し、それに起因する分裂や差別が存在することを認識するがゆえに、「自由主義史観」の人々は「国民」や「国益」を強調しているとも推測できます。

しかし、しばしば「国益」に適うとされる政策が「国民」全体ではなく、一部の人々の利益のみを守るためのものであることがあることにも注意しなければなりません。

また、そもそも「国益」を盛んにいう保守派ナショナリストたちの歴史認識に関わる言動が果たして「国益」にかなっているのかどうかという問題もあります。彼らが奇妙な歴史認識を披瀝するたびに、日本の近隣諸国の人々を傷つけ、(しばしばこのような人物を高位職にいだいている)日本国民の「知的レベル」を疑われ、さらにはしばしば外交問題となり、結果として「国益」を損なっているのですから。

もっとも、現代日本で社会生活を営む上で、最低限共通のものとすべき歴史認識は存在するでしょう。しかしそれについても国家の強力な統制のもとで決めるべきものではなく、一国内における多様な立場からの歴史認識を妨げず、人類共通の普遍的な価値、国際社会の一員であることを踏まえて、何を共通とするかを見出されるべきだと考えられます。


10、いま、どんな歴史を共有すべきか?

 では、具体的にはどんな歴史を日本社会に住む人々が共有したら良いのでしょうか? これは、多様な意見が提出された上で決定すべき問題であり、しかも、これまで知られていない歴史を掘り起こす必要もあり、なかなか難しい問題です。

 ただし、少なくとも、まず、現代社会において守るべきルールや大切にすべき理念が、過去のどのような人々の努力あるいは犠牲をもってもたらされたか、について共通の認識を持ち、記憶すべきことは、必要でしょう。より具体的に言えば、現代日本では、日本国憲法をもっとも基本的なルールとし、理念としているわけであり(もちろん、その内実をどのようにとらえるかについても多くの意見があり、また、それを否定しようとする人々もいることも事実ですが)、そこで掲げられている民主主義や基本的人権の尊重、平和主義がどのようにして、なぜ打ち出されたか、に関連する史実は共有してしかるべきでしょう。したがって当然、民衆の歴史、基本的人権を否定されてきた人々の解放を求める運動、戦争に駆り出された人たちおよびその関係者の蒙った被害や戦争によって他国・他民族に与えた加害の歴史は重視されるべきであると考えられます。

 同時に、現代日本の状況やこれから日本社会に生きるわたしたちがどのような人々と未来を共有し、またどのような未来を展望するか、いかなる歴史を共有するかということももかなり密接に関わっています。その際、わたしたちは、次のような状況に特に留意する必要があると考えます。

 ・  現実に今も様々な差別や偏見によって苦しんでいる人々が日本社会に存在すること。

   あたかも均質な「日本史」「日本文化」があったかのように語られてきた結果、それぞれの地域に育まれた個性的な文化や歴    史が知られずまた価値を認められてこない傾向があったこと。

     「日本人」以外のさまざまな民族的バックグランドを持つ人々、あるいはそのような立場を自覚、選択した人々が、日本社会の一員として存在しており、そのような人たちは「日本人」にとっても友人や隣人、あるいは家族や親戚として、大切でかけがえのない存在となっていること。

   日本国家の加害の歴史に対して明確な態度をとらないことによって現在もなお、その被害者に物理的精神的苦痛を与えているこ  と。

   近隣諸国との具体的な民衆レベルの関わり合いはこれからますます広がっていくと見られること。

   近隣諸国との信頼関係の醸成、協力の構築は、日本社会に生きる人たちの生活の安定や幸福にも不可欠のものであること。

このようなことから、とりわけ次のような歴史を重視すべきであるということが導き出されるでしょう。すなわち、

@     「日本」や「日本人」の文化的な多様性

A     民衆、特に被差別者たちの文化や運動、歴史に果した役割

B     「日本」以外から来て日本社会の一員となった人々の歴史

C     日本列島と近隣領域との関わりの歴史

D     日本国家およびそれを支えた民衆が近隣諸国の人々に与えた加害の歴史などです。